人気ブログランキング |
ブログトップ

夜つぐみの鳴くところで

bluenotejy.exblog.jp

もしお気に入りの一枚がありましたらご自由にご利用下さい (^^)゚~   ( 2K or 4K )

フランスの作曲家でジャズ・ピアニストのミシェル・ルグランが亡くなった。
Michel Legrand、1932年2月24日 - 2019年1月26日、享年86歳。

a0185081_09562116.jpg

1932年にフランスのパリで音楽一家に生まれる。
パリ国立高等音楽院で学び、10代の頃からジャズや映画音楽の分野で作曲活動を始めた。
1964年のミュージカル映画 「シェルブールの雨傘」でカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得。



1969年には 「華麗なる賭け」の主題歌でアメリカ映画界最高の栄誉とされるアカデミー賞を受賞した。



同い歳のフランシス・レイと共に20世紀後半のフランス映画音楽界を代表する存在となった。
そのフランシス・レイとは1981年の 「愛と哀しみのボレロ」で共作している。



その生涯に携わった作品の数はテレビも含めると200以上に上ると云う。
Michel Legrand - Music for Films


またジャズ・ピアニストとしても活動し 「Legrand Jazz」(1958年)ではマイルス・デイヴィスと共演。
他にもジョン・コルトレーン、サラ・ヴォーンら大物ミュージシャンとの共演作品も数多い。



2001年のライブではシェルブールの雨傘をジャズアレンジで聴かせている。



by Bluenotejoy | 2019-01-28 17:00 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
フランス映画音楽界きっての名作曲家フランシス・レイが亡くなった。
Francis Lai、1932年4月26日 - 2018年11月7日、享年86歳。

a0185081_18595562.jpg

1932年にフランス南東部のニースで生まれる。
アコーディオン奏者から作曲家に転身し、シャンソンの作曲でキャリアを始めた。
仏の伝説的シャンソン歌手エディット・ピアフやイブ・モンタンに曲を提供したほか、
クロード・ルルーシュ監督の 「男と女」 の 「ダバダバダ……」 のメロディーで評判を集め、
その後はさまざまな映画へ流麗な旋律を提供してきた稀代のメロディメイカーである。
ある愛の詩で 1970年度アカデミー作曲賞を受賞した。

朝日新聞によると同社が2016に行った電話インタビューでは、映画音楽について
 「音楽と映画の関係は不可欠で、映像にエモーショナルなものをもたらす。
  一度聞いたら口ずさめるような音楽にしたい」 と語っている。

男と女 1966


パリのめぐり逢い 1967


個人教授 1968


うたかたの恋 1968


白い恋人たち 1968


雨の訪問者 1970


ある愛の詩 1970


あの愛をふたたび 1970


さらば夏の日 1970 サウンドトラックから3曲



by Bluenotejoy | 2018-11-08 20:00 | 音楽 | Trackback | Comments(2)
アレサ・フランクリン(1942年3月25日 - 2018年8月16日 行年76歳)
アメリカ合衆国出身の女性ソウル歌手である。
膵臓がんの治療中であったが現地時間8/16(木)にデトロイトの自宅にて死去。
a0185081_20432905.jpg

テネシー州メンフィス生まれのデトロイト育ち。
父が牧師を務める教会で子どもの頃からゴスペルを歌っていた。
1961年にコロムビア・レコードからデビュー。
ポピュラー・シンガーとして売り出したがあまり人気にはならなかった。
そこで 1966年にアトランティック・レコードに移籍。
同社は彼女の圧倒的な歌唱力とゴスペル・フィーリングを前面に押し出す方針を採った。
翌年にはオーティス・レディングの名曲「リスペクト」のカバーで67年の全米1位を記録、
「ソウルの女王」としての地位を不動のものにしたのである。
a0185081_20442350.jpg

米音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞を何度も受賞。
2008年の米音楽誌ローリングストーンが選ぶ「歴史上最も偉大なシンガー100人」では1位を獲得した。
女性ミュージシャンとしては初めて「ロックの殿堂」入りも果たした。
カーター、クリントン、オバマと3度の大統領就任式でパフォーマンスを行っている。
2017年の新作アルバム「A Brand New Me」リリースと同時に引退を発表、闘病生活に入っていた。


by Bluenotejoy | 2018-08-18 17:00 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
イヴェット・オルネ( 1922年9月22日 - 2018年6月11日 行年96歳 )
フランス生まれのアコーディオン奏者である。
フランスでは知らない人のいない 「ミュゼットの女王」 と呼ばれている。
a0185081_18595939.jpg

1922年、スペインとの国境近くの町タルブで生まれた。
初めはピアノを学んでいたが、女流アコーディオン奏者が少ないことから
母親にすすめられて転向したという。
彼女が有名になったのは1952年、自転車レースのツール・ド・フランスがきっかけである。
専属アコーディオニストとして表彰式などでの演奏がラジオでフランス全土に流れた。

その後ミュージック・ホールやカジノなどへも出演し始め、パリに移ってからも
カフェなどで演奏しながら勉強を続け、1948年に国際コンクールで優勝をはたす。
生涯に2,000回以上の公演を重ね、150枚のディスクは3,000万枚以上の売上に登ったと言う。

a0185081_19005810.jpg


by Bluenotejoy | 2018-08-17 17:00 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
2018年3月12日 ザ・ベンチャーズのリード・ギタリストだったノーキー・エドワーズ氏が亡くなった。
行年82歳、昨年12月に腰の手術を受けて以来、感染症と闘い続けてきたという。

ザ・ベンチャーズは追悼文の中で
「今朝、ノーキーが亡くなったと知り、大変なショックを受けている。
 彼は革新者で偉大なギタリストであり多くの若いプレイヤーに影響を与えた。
 彼の曲Ginza Lights(二人の銀座)はザ・ベンチャーズの日本での最初のヒット曲の1つで
 いまでも日本でスタンダードであり続けている」 と綴った。

ノーキー・エドワーズ - 二人の銀座 (2012)



1935年インディアン種族チェロキーの血を引く家系の大家族に生まれた。
幼少期からバンジョーやマンドリンなどさまざまな楽器を手にするが、
11歳の頃からギターに専念して独学で学んだと言う。
その後、ドン・ウィルソン、ボブ・ボーグルと出会いベース担当でベンチャーズに加入する。
ウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)でベースを弾いているのがノーキーである。
その後ボブとパートを交代しベンチャーズの快進撃が始まるのである。

The Ventures - Walk Don't Run (1960)




The Ventures - 日本のメロディー




The Ventures - 45th Anniversary Live (2004)
久しぶりにオリジナルメンバー3人が勢揃いした素晴らしいライブです。
すでに腰を痛めているノーキーは座りながら安定した早弾きを披露してくれる。
その優れたテクニックから弾き出されるサウンドはカントリーやブルーグラスを色濃く感じさせ
若き頃に憧れたレス・ポールやチェット・アトキンスの影響が強かった事を伺がわせる。



by Bluenotejoy | 2018-03-15 17:00 | 音楽 | Trackback | Comments(2)
スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが 2017/9/3日(現地時間)に死去した。
死因などは発表されていないが今年で 67歳であった。
1950年2月20日にニューヨークのドイツ系の家庭に生まれる。
彼が大学に入学した時、もう1人のスティーリー・ダンの中心メンバーであり長きにわたる相棒となる
ドナルド・フェイゲン (Donald Fagen) と出会い、後にスティーリー・ダン(Steely Dan)を結成する。

a0185081_17284498.jpg

1972年発表のデビュー・アルバム 「キャント・バイ・ア・スリル」からシングル・カットされた
「ドゥ・イット・アゲイン」は全米6位の大ヒットを記録し彼らは幸運なスタートを切った。




その後、1977年のアルバム 「彩(エイジャ)」は、全米3位、200万枚を売り上げる大ヒットを記録する。




スティーリー・ダン(Steely Dan)は、バンドスタイルではあるが、事実上はドナルド・フェイゲンと
ウォルター・ベッカー のデュオである。
ロックやポップスを基調としながらもジャズ的な要素を加味した独特のコード進行で曲にひねりを加え、
録音の都度、一流のスタジオ・ミュージシャンを駆使して高度なアンサンブルを構築。
その独特な世界観は多くのアーティスにも多大な影響を与えた。

しかし、1980年発表のアルバム 「ガウチョ」を最後にスティーリー・ダンは活動を停止する。




「ガウチョ」も前作 「彩(エイジャ)」に匹敵する大ヒットを記録し高い評価を獲得したが、
フェイゲンの完璧主義は前作を超え演奏に寸分の狂いも許さなかった。
一方のベッカーは麻薬に溺れレコーディングどころではなくなっており、
スティーリー・ダンはこのアルバムを区切りに、長い休止期に入る。


1982年にドナルド・フェイゲンはソロ・アルバム 「ナイトフライ」を発表。
スティーリー・ダン時代のサウンドにさらに磨きをかけ、以前に劣らぬヒットと高い評価を獲得した。
3M製32トラックのデジタル・マルチトラックレコーダーを使用した音響面での高いクオリティも絶賛され、
PAエンジニアがサウンド・チェックする際の定番とも云える「音の良いアルバム」である。



一方のウォルター・ベッカーは麻薬中毒から脱するためにハワイに移住。
1985年にチャイナ・クライシスのプロデューサーとして音楽界に復帰した。
その後はフェイゲン、ベッカーともどもさほど目立った活動をすることはなかったが、
1993年にフェイゲンのソロ・アルバム 「KAMAKIRIAD」をベッカーがプロデュースしたことを
きっかけに二人での活動を再開する。
※著作権保護されている曲はスキップして下さい。



2000年、スティーリー・ダン名義としては20年ぶりとなるアルバム 「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」を発表。
全米6位の大ヒットを記録し、同年のグラミー賞では最優秀アルバムをはじめ4部門を獲得。
スティーリー・ダンの名声が未だ衰えていないことを見せつけたのである。




最後にウォルター・ベッカーの2枚のソロ・アルバムをどうぞ。
 1994年 11の心象 11 Tracks Of Whack

 

 2008年 サーカス・マネー Circus Money

 

by Bluenotejoy | 2017-09-04 18:00 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
2016年11月11日 米国俳優であるロバート・ヴォーン氏が死去した。
ニューヨークの病院で急性白血病の治療を受けていたという。
1932年11月22日のNY生まれ、2016年11月11日 満 83歳没。




メトロ・ゴールドウィン・メイヤー製作の「The Man from U.N.C.L.E.」で主役を演じ世界的スターとなった。
NBC系列で1964~1968年まで4シーズン放送され、第1シーズンはモノクロで以降はカラー放送であった。
日本では「0011ナポレオン・ソロ」として1966年から1970年まで日本テレビ系列で放送された。



国際機関アンクル(U.N.C.L.E.)のエージェント、ナポレオン・ソロとイリヤ・クリヤキンの活躍を描くもので、
企画初期は007シリーズの原作者イアン・フレミングが参加してシリアスなスパイ路線で始まったのだが、
次第に作風を変え回を重ねる毎にコミカルなタッチへと変わっていった。
優秀だが女性には弱いソロとクールに任務をこなす中性的なイリヤという対比が番組を面白くしていた。










吹き替えは、ロバート・ヴォーンを矢島正明が、デヴィッド・マッカラムを今はなき野沢那智が担当、
そのコミカルな掛け合いが面白く毎回楽しみにしていたものである。



ナポレオン・ソロの女優たち



ナポレオン・ソロのテーマ - ベンチャーズ



ロバート・ヴォーン氏の主な経歴... allcinema: 映画データベース より

本名はRobert Francis Vaughn。
父はラジオで活躍した俳優で母は舞台女優だった。
ミネソタ大学でジャーナリズムを専攻するが、やはり両親の血を引いたのか次第に演劇に
興味を示すようになり学生劇に参加。
51年にはラジオドラマで演技賞を受賞してLA州立大の演劇科に移った。
56に卒業して同年映画デビュー。
59年には「都会のジャングル」でアカデミー助演賞候補となる。
翌年「荒野の七人」に出演後、64年スタートのTVシリーズ「0011ナポレオン・ソロ」に主演
して人気も獲得。
同シリーズを再編集した劇場版は計8本作られ83年には新作も製作された。
以降もTVと映画で多数作品に出演。
77年の「権力と陰謀・大統領の密室」でエミー賞を受賞。
50年代に吹き荒れたいわゆる“赤狩り”の研究者としても有名で著書もあるという。
by Bluenotejoy | 2016-11-12 17:00 | 懐かしの昭和 | Trackback | Comments(0)