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夜つぐみの鳴くところで

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2017年 09月 04日 ( 1 )

スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが 2017/9/3日(現地時間)に死去した。
死因などは発表されていないが今年で 67歳であった。
1950年2月20日にニューヨークのドイツ系の家庭に生まれる。
彼が大学に入学した時、もう1人のスティーリー・ダンの中心メンバーであり長きにわたる相棒となる
ドナルド・フェイゲン (Donald Fagen) と出会い、後にスティーリー・ダン(Steely Dan)を結成する。

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1972年発表のデビュー・アルバム 「キャント・バイ・ア・スリル」からシングル・カットされた
「ドゥ・イット・アゲイン」は全米6位の大ヒットを記録し彼らは幸運なスタートを切った。




その後、1977年のアルバム 「彩(エイジャ)」は、全米3位、200万枚を売り上げる大ヒットを記録する。




スティーリー・ダン(Steely Dan)は、バンドスタイルではあるが、事実上はドナルド・フェイゲンと
ウォルター・ベッカー のデュオである。
ロックやポップスを基調としながらもジャズ的な要素を加味した独特のコード進行で曲にひねりを加え、
録音の都度、一流のスタジオ・ミュージシャンを駆使して高度なアンサンブルを構築。
その独特な世界観は多くのアーティスにも多大な影響を与えた。

しかし、1980年発表のアルバム 「ガウチョ」を最後にスティーリー・ダンは活動を停止する。




「ガウチョ」も前作 「彩(エイジャ)」に匹敵する大ヒットを記録し高い評価を獲得したが、
フェイゲンの完璧主義は前作を超え演奏に寸分の狂いも許さなかった。
一方のベッカーは麻薬に溺れレコーディングどころではなくなっており、
スティーリー・ダンはこのアルバムを区切りに、長い休止期に入る。


1982年にドナルド・フェイゲンはソロ・アルバム 「ナイトフライ」を発表。
スティーリー・ダン時代のサウンドにさらに磨きをかけ、以前に劣らぬヒットと高い評価を獲得した。
3M製32トラックのデジタル・マルチトラックレコーダーを使用した音響面での高いクオリティも絶賛され、
PAエンジニアがサウンド・チェックする際の定番とも云える「音の良いアルバム」である。



一方のウォルター・ベッカーは麻薬中毒から脱するためにハワイに移住。
1985年にチャイナ・クライシスのプロデューサーとして音楽界に復帰した。
その後はフェイゲン、ベッカーともどもさほど目立った活動をすることはなかったが、
1993年にフェイゲンのソロ・アルバム 「KAMAKIRIAD」をベッカーがプロデュースしたことを
きっかけに二人での活動を再開する。
※著作権保護されている曲はスキップして下さい。



2000年、スティーリー・ダン名義としては20年ぶりとなるアルバム 「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」を発表。
全米6位の大ヒットを記録し、同年のグラミー賞では最優秀アルバムをはじめ4部門を獲得。
スティーリー・ダンの名声が未だ衰えていないことを見せつけたのである。




最後にウォルター・ベッカーの2枚のソロ・アルバムをどうぞ。
 1994年 11の心象 11 Tracks Of Whack

 

 2008年 サーカス・マネー Circus Money

 

by Bluenotejoy | 2017-09-04 18:00 | 音楽 | Trackback | Comments(0)